弦楽四重奏「ザ・芸者ストリングス」のマネージャとしての奮闘記


by yasuyakko

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2003年~2004年は靖奴の激動の年だった。

2003年の6月、定期ライブ其の七の少し前から、だんなはんの口の中に口内炎ができていた。なかなか治らずに痛い痛いと言っていて、私は
「蜂蜜ぬれば治るよ~。」
なーんて気軽に言っていた。

町医者を何回か変え、あの手この手で治療してみたが、治りそうにない。
そのうちに、だんなはん自分でT大付属病院のその筋の権威の医者を見つけて、診察の予約をしてきた。
私の中でちらっといやな予感がした。

T大付属病院で、すぐに患部を切除、といっても歯医者の診療台のような椅子で、そのままざっくり、その日のうちに帰ってきた。
痛い痛いというだんなはんに、
「大丈夫、たいしたことないって~。」
と再び軽く言う靖奴。
切り取った後の傷口がふさがってくると痛みもなくなってきたようで、食事も通常どおりぱくぱく。

切り取った部分は検査にまわされていて、その検査結果がわかる日、私はいつものように仕事でコンピュータの前に貼り付いていた。

携帯電話が鳴る。

「悪性だって。。」

一言。すーっと血の気が引く。
「う、うそでしょ、冗談でしょ。」

こんなときに冗談なんか言うはずがない。だんなはん、
「うん、それでね、すぐ入院でね、なんか無理して手術のスケジュール調整してくれてね・・・」
と極めて平静で明るく、いつものとおり。

「う、うんわかった、すぐ帰って用意するから。」

と上司にわけを言って会社を早退する。涙が浮かんだ。

入院してから手術の日まで数日あった。なんでも舌の脇が患部で、飛んでいる可能性があるので、かなり大きな範囲を切り取ると言う。
「でも、大丈夫。片側だけだから味覚は元のまま、味覚は通常左右対称ですから。」
「舌先は残ります。舌先を切っちゃうと言葉がしゃべれなくなりますから。」
つまり、術後、痺れは半年ぐらいは残るものの、後は元通りというラッキーな場所だったらしい。

この数日間、だんなはんは元気だった。(少なくともそんな様子を見せていた。)
芸ストのメンバーがかわるがわる訪れてくれた。これはとても救われた。基本明るい性格の芸妓たち、日にちが経つのがあっという間、病院の上に西洋料理の老舗のレストランがあって、病院食が美味しくないと元気いっぱいにだんなはん、私と一緒にそこでぱくつく。

だんなはん、私を気遣って、まわりを気遣って、元気にしていたけど、内心すごく色々あったんだろうな。
後で聞いたけど、
「絶対、生きてやる、まだまだ靖奴と一緒に人生を楽しむんだ!」
って思ったんだって。

さて、手術の日、春奴が漫画をどっさり持ってきてくれた。これは靖奴のためである。
手術は2-3時間で終わるという。その間不安だろうから気を紛らわせるためにって。
手術自体はさほど問題なく、早くに担当医師が、終わりましたと報告しにきて、漫画を読みふけっていた靖奴と春奴、あたふたとその辺をかたづけたりして。

でもその後は大変だった。麻酔が切れれば当然痛い。そしてしばらくは唾液と血が混じってもちろんしゃべれないし、管からの食事だし。。靖奴、仕事の前と後に必ず寄って一緒に過ごして、それが2週間ぐらい経って、ようやくまともにしゃべれるようになり、おかゆの食事になっった。

「いやあ、二度とあんな痛い思いはしたくない。」
ぼそっというだんなはん。

この病気、当然、予後がある。再発、何よりも恐れたこと。色々勉強した。
今回は早期発見だから大丈夫と医者から言われても、もちろん、気休めだ。免疫力を高めるために私ができることは何だろう。とにかく緑色野菜をとることがいいらしい。

退院して自宅療養に入ったのが8月、硬いものは食べられないのでやわらかくて、かつ身体によさそうなものを選んで、毎日の食事ケアをする。仕事をしながらなので、朝、昼まとめて作りおき。だんだん舌の傷口が治っていき、食事もだんだん普通になっていったのは9月に入ってから。

その間、もう1つ大変だったのはメンタルケア。この頃からしばらく抗癌剤の投与があって、一日中ひどい気分が続いて、それに輪をかけて、一人で家で、ずーっと予後を過ごすのは、かなり精神的に厳しいものがあったと思う。ましてや、大丈夫かな、再発、って問題を抱えている。

よし海に行こうなんて、1泊熱海に行ったり、いろいろしてみた。暗くなっているだんなはんをなんとか気分上昇させようとした。

そして、決めたのだった。

「よし、那須移住計画プロジェクト発進だ!」

(続きはPart2で。)
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by yasuyakko | 2005-02-01 12:00